2013.4.13.2:29 think

どうもなぜか思うところがあって、物事や事柄に対していちいち何かしらの意味を付けたがる傾向にあると気づいた。いや、まぁ気づいたというか今まで気づかなかったフリをしていたというか。

『いまこうしてるのはきっとなにか意味があるはず』

自ら言うのも恥ずかしいが、はあ?だ。いったい君はいくつだ?と言われそうだ。なんてことはない、自己保身てやつなんだと思われる。意味なんて無いんだってのを気づきたくない認めたくないただそれだけだったんだよね、結局のところはさ。
誰だって後悔することはあるし、あの時ああすればよかったとかあの時こう言ってればよかったなんて事はざらにある。後悔先に立たずって言葉を知らない人はいない。だけどあれはあくまで言葉だ。意味はあるがあくまで言葉だ。人はそんなに言葉ありきで生きていないし行動していないと思う。いついかなるときも冷静沈着で前後を理解して過ちも後悔もしない選択をしているなんて自分には到底できやしない。そういったことを意識せずにされている方々への否定や批判ではないし同意を求めるわけじゃないけど、少なからずというかどちらかというと感情が先に立ってしまいがちではなかろうか。なんていうか、その感情を盾にして本来見なきゃいけない現状や事実に対して実際は目を背けているだけなんだオレは。これは逃げなのか?俗に言う現実逃避なのだろうか?と、そんなことを思い巡らせながら最近は自分をみつめることが続いている。

じゃあいったい何がしたいのか。じゃあいったいどういうふうにしたいのか。
こういうことを問われると即答できないのがなんとも不甲斐ない。だってそれまでは目の前のことに飛び込むことがこんなに怖くて勇気がいることだったなんてとくに考えた事もなかったのが、今では、若いときだったら・・・もう少し早かったら・・・とそんなことばっかり思うようになってしまったんだ。だから、ほんとうに大事なことってなんだろうってあらためて自分に問うている。

『あれこれ思考するより体を動かしたら良いかもしれない』

具体的な事象や事例や目標などをなにひとつ記してはおらずなんとも掴みどころのない無味無臭で味気もへったくれもないこの文が、ああやっぱり、今の自分がそれこそ精神論のようなスピリチュアルのような何かの意味を持たせるように書いてしまっていることに気づいてやっぱり残念だった。結局最後まで意味を付けたがっていて意味を持たせたがっていたんだなって。いよいよもう、学習能力が著しく低下してるようだ。同じことをいつまで経っても考えてるだけのようだ。願わくば、なにも考えずになにも持たずにラクに生きたい。今だけじゃない。物事の意味をいちいち関連付けせずに単純に生きたい。今日だけじゃない。もっと楽観としててもっと能動とできたならいまよりもどんなにか心も体も軽くなるだろう。ほかの誰かが自分に代わってこの人生を生きてくれるわけじゃない。だからこそ自分で変わりたいと切に願うばかりなんだ。

堂々巡りもたまにはいいがそれが続いても良いことはなんてきっとないだろうと思う。
今夜はこれで。

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